昭和50年月日不明 途中切れ 【入力者:岡村和一郎】
(途中からテープが始まる)
中村さんが、えー、(この頃ヨーロッパ?)を旅行されておられて、そして、えー、( ? )お土産をと思うて買わして頂いたのが、送ってきたからというて、( ? )。もうそれがもう、うれしゅうしてうれしゅうしてこたえんちゅう感じですね。親先生にこれを、私はこれは箱を開けて見てから喜んだら、まあだ喜びなさろうと思うごたるあるですけど。もうとにかく人にものをあげてうれしゅうしてこたえんという(ことくらい?)、( ? )らしいことないですよ。
今日、秋山さん、今日あちら( ? )ですから、もう昨日から(お手入れしはって?)、親先生(らに?)、かます寿司なら店があるからというて、まあかます寿司を、大ーきなかます寿司を、あー、あのかますをね、昨日手に入ったというて、昨日からもろうて来てなさって、味も(くるみがよからしく?)、まあ、私の好みを聞いて、はああ、(もう?)、聞いてよかった、もうほんと、もう実はあの、あ、かます寿司の中にわさびを入れる( ? )といったような話からね、はああ、かます寿司にわさび入れたらなんて、そげなこつがある( ? )、親先生、まあ、そして今日はその、まあ、( ? )夕べ開いたのを、今朝からまあ、持って見えたわけですけども。
もうほんとにもう、それこそ、あのー、(運?)でしょうかねえ。なら、どこかにこう、うーん、その、やって、誰にでんやってうれしいというのじゃないですよね。うれしくてうれしくてって、もう、お供えをしてうれしい、物をあげてうれしゅうてこたえん。ね。 だから、そういうようなものがですね、いつの間にか、だんだんお互い育てきておる(ということ?)。
私、昨日、昨日私あんなに座ることなかったんですけども、いつも12時ちょっと過ぎに、( ? )そしたらちょうど、( ? )お参りになった。そしたらあの、えー、( ? )あっちから電話がかかってきて、えー、( ? )のお孫さんですね、あちら、あのーお医者さんに(なられて、もう?)学校行っとられる方で、あちらで事故に遭ってから、亡くなられたんです。
もうほんとに、( ? )お夢か何かかと思うたったい。そしたら、その、ま、ほんなこ、の話だったんですよ。まあ、ほん、この頃からあの、(えっと?)お兄さんのほうが亡くなられて、( ? )。
( ? )もう別にそれを聞いて驚きもしなければ、そのとくに悲しいということでもない、(車のあちらに?)という頂き方だったんですけれど、昨日、そのことのお届けにまいりましてから、「親先生、これ一言御理解頂いて、帰らして頂いたら、もう、それがうれしゅうしてうれしゅうして、夕べはそれで眠られんくらいにうれしかった」と。( ? )他んもんが聞いたら、( ? )馬鹿じゃなかろうかと言うでしょうね。
そして、あの佐田さんが、火事の、火事、火事に、倉庫が丸焼けになったという時に、お届けに来られた時に、もう(そうこん?)笑いが止まらんっちいう話を聞いた時の気持ちをね、私は夕べほど感じたことはなかった、とこう言われるんですよ。信心ちゃほんとに(不思議?)ですねえ。
はああ、うちの(うちあげ?)とるとを見てからうれしかったっち、ね。お届けに来てから、ちょっと笑いが止まらんでおって、お届け(でんきんくわにゃん?)となら、あの、ぅえー、もうせっかくおかげ頂いてというだけでした。それはあんたほんとに、あの、孫が、しかも大学に行ってお医者さんになる卵ですから、なる、んー寸前で、しかもあの、事故でね、単車の。それがお母さん、この頃行かれてから、単車が欲しいと言われてから、買うてあげれたばっかりやったんです。ね。
まあ、そこが、そこに行きゃ、まいっちばんその、もう、ございましょうけども、昨日言われるように、当然、くるものがきたんだというところに、まあお詫びやらお礼やら。けれどもその、うれしゅうしてっちゅうことはなかった。
ところが、だんだん、御理解で言っておるその、思や思うほどうれしゅうなって、夕べ休めんくらいにうれしい、そりゃもう、日頃は私の言うことを聞かんけんで、ちそげなこっちゃないです。もうほんとに神様のお取り計らいの中に、一分一厘間違いのあろうはずはない、それがただ、人間、私ども生身を持っとるから、酷に感じたり、ね、それが楽に感じたりするだけのことであって、私はこう合楽で信心のけいこをする人達はね、ここんところのね、あの心を開かせて頂かにゃかいけん。ね。
私は思うのに、なら、今日中村さんこのお供えをされる時の、もーう、とにかくもう、うれしゅうしてこたえんというようなお供えをなさる、それを、おー、感じてですね、どうしたならば、人にこのたくさんの金を使うてあげるとに、その、あんな喜びが湧くだろうかということなんですよ。ね。
私は思うですね、もう、結局、真心を神様が喜んで下さる喜びがそのまま、いうなら秋山さんに、または中村さんの心の中に喜びがあるのじゃないだろうか。そういうけいこをほんとにさせて頂いて、もうさせて頂いて、もう積んで積んで積み上げて体験を頂いておるところからです、佐田さんじゃないですけども、( ? )さんじゃないですけれども、そういう人間の( ? )ならば、(そこを?)というような、(そこを?)と言わにゃおれないようなことに直面しながらです、ね、神様にお礼が申し上げられるだけじゃなくて、下から湧いてくるものか、(どうもしようはない?)、もう説明のしようがない、けれどもやはり、うれしいということなんだということ。ね。
もうこれはね、理屈じゃ、今日熊谷さんも言っておられますように、「もう親先生、これもう理屈じゃないですから」ってちゃけ。素晴らしいことですね。うん。(どうでも?)お互いせっかく信心をさせて頂くのですから、昨日のあのお説教の中にも申しましたように、佐田さんが妹さんに電話をかける、もういよいよ、もう難しか、もう倒産するほかにないっていう時に、ね、たとえそれであったっちゃおかげと、幸せという字をひっくり返してみてごらん、やっぱひっくり返しても幸せと読もうがっち。あんたがたが天が地にひっくり返るようなことが起こったっちゃ、そりゃおかげばいと、こう言えたということは、自分の内容にあるから言えたんだと、こう思うんです。
(熊谷?)さんの場合でもそうです。ね。昨日の、うー、(のりお?)さんから電話かかってきた時も、また、あー借家であの、こちらが帰られたらその電話が鳴りよった。で、やっぱり、今度は陽子さんから電話がかかってきた。
で、その電話を聞いて、ほんとにその、「おかげばい」。ただ、のりおさんに言われたことは、それ聞いた瞬間にね、言うておられることは、「のりおさん、信心ばしてくれんの」ということです。もうこれがいつもここにあるわけなんです。ね。
ね、いうならば、兄さん達が家におる。のりおさんだ。ただ、「のりおさん、信心をしてくれんの」ということであって、それから心がだんだん、えー、一日経たして頂いておるうちにです、んなら、借家なんかは、うれしゅうして眠れんくらいにある。そのね、その心が自分で有り難いことになる。
こういうような、ね、いうならば、ね、おばあちゃまとお孫さん達の、子供、子供よりかわいいです、ことに違いない。ね。それが、しかもそういう、あの亡くなられ方をしたにもかかわらずです、ね、くるのがきたんだとして、心を毅然として受けておられる。
受けたら(受けた?)だけではない、その後に自分の心の中に変わってくるものは、ただうれしゅうてということです。これはだから、恐らくは、合楽の人達もよく分からんと思うです。ね。まあ皆さんだから、今日お話こう私できると思うんです。( ? )と話しよったら、あの馬鹿じゃなかじゃろうかというでしょう。
ご本部からあのー新聞の取材に来た時に、( ? )から、(久保山家?)から、んなら、の話をしてもらおうということで、応接間で話を、あのー、お母さん、いうなら子供達全部集まって、一人ひとりに、そのお父さんが事故に遭って亡くなった時の話をして、もうただ有り難い話ばっかりしたら、どーしてん、記者が分からじゃったですけん、意味が。ね。
けれどもその、あん時は(久保山?)一家の者が、お父さんの死ということに対して、その、あぅ、一人ひとりに話したことは実感な、私だけがしか分からんの。もうそりゃ、信心の、おー、もできておりましょうし、そういう取材ばっかりしとうとですからね、あのーわけの分からんはずはないのだろうけれども、もうほんとに「難はみかげ」ということをですね、ほんとに、あのみかげと実感しとらなければ、実感的な、いえば、あんな話できるもんじゃないです。だから、合楽の場合はね、そういう信心が育って、皆さんいきよるということが有り難いです。ね。
お互いに一つ本気で、ね、お供えをさせて頂くその真心がです、ね、うれしゅうしてうれしゅうしてこたえん。ね、それは、その真心を神様が、ね、いうならば、うれしゅうしてうれしゅうしてこたえなさらん。ね。それが、私は、その、今日、中村さんやら、あのー秋山さんみたいに伝わっていくのだと。ね。
それからというて、ほんとに人にたくさんのお金のかかった物をあげたり、難義な時にうれしいっていうような。(笑)それかと思うと、ていうのは、その秋山さん、今朝からの話です。明日小倉への記念祭ですから、お初穂を言づけて( ? )。それがその、私があすこに千円以上っち書いてあるもんだから、もうそれがちっと惜しかごたる感じがする。ね。
ほんとにその、だからずいぶん心の中に、あのー、練らなければね、その、せっかくお供えさせて頂くのに、惜し気やら(あしげ?)がついとったんじゃでけんのだけれども、結局どういうことかというと、小倉に、ならお供えをするということがです、神様のお喜びがないからだと、私は思うですね。こんなことここだけですよ、皆さん、私が言うとは。ね。
いうなら、ここでんなら親先生にっていうて、皆さんが私を喜ばせようとしなさることは、もう大坪が喜ぶことを、天地の親神様はいかに喜びなさるかということなんです。だからうれしいのです、うれしいのが伝わってくるのです。
ところがんなら現在の、例えば小倉にどれだけのお供えをしてもです、ね、神様があんまり喜びなさらんのじゃなかろうかと思います。だからほんというたら、ほんに五百円でよかろうばってんというとこ、あとの五百円は、ほんとに相すまんことですけれども、ね、えーというお詫びをもって、例えばお供えをすんなら、しなきゃでけない。結局、私はね、お徳を落としちゃならんと思うです。ね。
そこを一つ、まあそういうような、あーところをいろいろけいこさせて頂いて、ね、どういうような場合であっても、それが人間の最高の不幸せ、不幸というようなことに、普通でいうならば、に直面した時でもです、それが毅然と受けられるだけじゃなくて、だんだん考えよったらうれしゅうしてうれしゅうしてということになってくる。
それは、いうなら、めぐりのお取り払いならめぐりのお取り払い、親先生のお取次を頂いて、親先生の祈りの圏内に起きてくることだからということが信じられなければ、(ひとのでき、出てくる心がない?)と、私は思うんですね。
今日はもう、お供えをしてうれしい、不幸にあってうれしい、そういうものをお互い本気で身につけていかなければ(ならないですね?)。不思議な不思議な心ですよね。やっぱりこれはもう、ほんとの信心、真の信心を頂かなければ頂けることじゃない。ね。(途中切れ)
しようがない。しようがないからほっておるぐらい、ような気持ちで、まあ15日の富久信会におかげ頂いたけれども、明くる朝はご大祭だけれども、早く帰らしてもらわなければならんと思うて、おかげを頂いた。
昨日、朝、へぇっへん、うーん、ちょうど私のところへ帰らせて頂くからというて、あの、あいさつに(見えよんの?)と廊下でばったり会った。で、(それがですから?)、今日の大祭は置いて行くもんがあるのかいの、うちの方ほうからかしときなさい。ね。とにかくご大祭頂いて帰ったらええがと。
ね、まあいうなら気が気じゃないでしょうけれども、大祭を頂くことになった大祭が済んだらもう、途端に、早く帰らなければということであった。ね。昨日だけでも、何回か電話が掛かってきた。「お願いします。いや、もうだめです、もうだめです」というわけなんです。ね。けれども時間ギリギリまで願いを捨ててはならん、思いを捨ててはならん。
ちょうど昨日のご大祭のお説教中に、また電話が掛かってきた。( ? )。「もう姉さん、どうにもこうにもできないところになっておる」と。主人もまだ帰って来ないし、どんななってるだろうかというわけだったでしょう。その時に、ちょうど私のお説教の半ばに、その加西さんのお話をしておる時であった。ね。だから、妹さんの名を言うて、ちょっとほら聞きなさいて、頂きなさいて。今、親先生のお説教があってるって。ちょうどあなたがたんことば、(聞き?)よんなさるよというて、受話器をこちらの方に向けて、あの、こげんも間違いのない働きの神様だから、心配しなさんな、度胸ば据えなさいというて、手紙を送ったというんです。
それからまた電話が掛かってきた。いよいよもう、時間(ギリギリで?)だめだと、こう言うわけです。それを私に(ふってくる?)。もう、あの、お父さんも、おー、もう汽車ん中だと帰る、帰りよると。うん。それでも、まあ、あなた一人でどうにもできないだろうけれども、まあ一心に( ? )せろということでした。
それから、ご大祭に、ああ、もうご直会の時間になって、えー、私ご直会の先生方、あ、(てんとり?)のらしてもらい、それから関係者(との?)人達に、(一遍でも回らして?)頂いてご結界についた。今までかつてあんなことがなかったんです。そんところに、また電話が掛かってきた。ほんとにこう間違いがない、ね。
ただ、あのー、( ? )ですよって言ったら、返事がない。電話の向こうで泣いとるらしんです。もう嗚咽しながら、何しよるか分からん。「先生、おかげを頂きました」と言うのです。もう、思いもかけない、思いもかけないとっから、その銀行に振り込みのおかげを頂いたというて、「ただ今、銀行から通知を頂いた」と言うて、もう後は(なるばかり)(笑)、( ? )。
佐田さん( ? )へ、御用を頂いておられましたから、呼んで、「今こげんして加西さんから電話が掛かってきたよ」。それこそ、佐田さんも、それこそ涙が流れるほど、やはり神様の間違いなさには恐れ、いわゆるおかげを頂いたということではなくて、神様の、日頃自分達が頂いておる間違いなさと同時にです、間違いない神様の働きを、また再認識という言葉ではおかしいでしょうけども、もう、いよいよそれを、もう確かなものにしていっておる。間違いのないその働きを受けることそのこと自体が、有り難いという、佐田さんの場合は、涙であったと思うんです。ね。
まあ例えば、こういう、ならおかげ話を皆さんに聞いて頂くと、合楽の場合はいつの場合であっても、一分一厘間違いのない働きの中に、ね、痛いことがあったり痒いことがあったり、足りないことがあったり、腹の立ったりするのこともあるのです。
そこで私は今日思うんですけれどもね、そのそういう間違いのない働きの中にあることをです、なら10有り難いことだなあ、合楽にご縁を頂いて、合楽の親先生の祈りの中にあるんだということをです、どれほどお互いが有り難く思うておるかということでございます。
それが、ただ、ね、自分の都合よう(なったら?)、「はああ、おかげ頂いた」という。都合の悪からおかげじゃないと思い、いや、お願いしとったばってん、おかげ頂ききらじゃったというて、不足を言うような程度の人もある。
私は今日(わらじ?)を頂いた時に、直感したのは、えー、ある教会が火事に遭って全焼された。そん時、時の、おー教監をしておられた何とかと(有名な?)先生が、その教会に、その先生に電報を打たれた。「山焼けてまた萌えいずるわらびかな」という、これは俳句です。ね。句を(全部?)にして、あの、先生に電報を打たれた。その電報を握ってもう大変な感動を受け、大変な元気が出て、それこそ焼け太りのおかげを頂かれた、という話があるんです。ね。
「山焼けてまた萌えいずるわらびかな」。ね。山が焼けたから、かえって素晴らしいそのわらびが生えたと、こういうのです。ね。ですから、今言うならば、山焼けてといったような時であっても、ね、いうならば、ね、一切を灰にしてしもうたといったような場合であっても、神様の広大なおかげをおかげと分からせて頂くという心こそ、真のわらびだと思うです。
和楽美。自分の都合のよい時だけが和楽美であってはつまらん。ね。それとは反対のことであっても、ね、かえって元気が出る(かい?)、神様のご心理、ご神慮を思うたら、じっとはしておられない、泣かずにはおられない、有り難さにむせばしてもらえるような信心を頂いた時こそが、おかげをおかげと分かった最高の、私はおかげの実感だと思うです。また事実そうなのです。ね。
「おかげを軽う見な。おかげを軽う見たらおかげはなし」。ね。そこで、私はね、いつも思うんですけれども、家族が勢をそろえての信心になって、家族中の者がおかげをおかげと悟らしてもらい、分からしてもろうて、家族中で喜べれるおかげを頂かなければ、ほんとのおかげがならんという。ね。
主人が一生懸命信心さしてもろうて、ほんとにもったいないおかげを頂いて有り難いというと、そりゃあ、( ? )あなたが一生懸命働きなさるけんで、儲かって当たり前ですちゅう、( ? )いうたら、どうなるですか。ね。
( ? )一生懸命信心さしてもろうて、あれもおかげこれもおかげというて喜びよるとに、おやじが、「お前ばっかりは馬鹿じゃなかか。なんでんかんでんおかげち言うちから」と(言う?)たらどうなるですか。おかげが崩れてしますでしょう。もう信心する(ようなほか?)、なんでんかんでんおかげ、おかげち言うちから、と信心のない主人がそう言うたら、おかげがその場で崩れる。こりゃあ家のおかげという場合ですよ。
家のおかげを頂くと、もう家族中の者が、ほんとに恐れ入るね、有り難いねと、ね、親子が夫婦が言い合えれるようなおかげを頂くためにも、お互いが一家勢をそろえての信心にならないと、ほんとの家のおかげにならないということでございます。ね。
今日はね、ほんとに広大無辺なおかげを頂いておる。その広大無辺のおかげをおかげとおかげと感じ(す?)、悟らしてもらう、分からしてもろうて、有り難いとお礼の言えれる、ね、いうならば、おかげをおかげと分からしてもらう。神のおかげをおかげと(途中切れ)